吉良の駄文 No5 最高の姿は「赤ん坊」
世間一般的には、
生まれたての赤ちゃんは、
未熟だから、大人がよくよく面倒を見て
育てなければならない、
というのが共通される概念ですが、
私はそれは本当は逆だと感じています。
赤ちゃんは能力的には最強なんです。
何も無いところから、
短期間で、言語を覚えるし、
二足歩行までの進化、様々な事を修得
これは、「無」であるからこそ、
邪念無く、様々な物を穿って見る事無く
素直に体得できるからこそ。
なので、この理想の姿に対して
大人がいかに損ねずに接する事ができるかが、
大事と思います。
「無」の境地で物事を観るのは
とても大事で、
「無」ではなく、
「有」と「無」の、
相対的な思考で物事を測ると
間違いなく見落とします。
木でいうところの
「枝」を見るのではなく
「幹」を感じ取ることです。
「無」とは、
万物を=(イコール)
と見れるか。
木偶の坊という言葉、
これは、何の役にも立たないという意味です。
この木ですが、
何の用途にも使用できない木、
まさに木偶の坊、
でも木偶の坊だからこそ
人々に伐採されること無く
長生きできるってもんです。
人で例えると、
あの人は何の才能もない
ひょうひょうと生きているだけで
何の役にも立たない。
しかし、役に立たないからこそ、
人界の軋轢や競争の中で
ストレスで我が身を削り損ねること無く
その生を全うできるんです。
物事は、どちらかが良ければ
反する良くない物を兼ねます。
おもしろいもので
「理解」「分かる」
など、その事を知った!という意味の言葉。
漢字でちゃんと表現されていて
「理解」は、理を解する
すなわち、理(ことわり)を解(ほどく)(分解の解)
「理」を知ったはずなのに、
「理」を解いて「理」でなくなってる!!??(ノД`)。。
「分かる」は、分けている(分別する)
すなわち、ありのままの姿では無くなった意味。
知ったはずの1つの答えが、分かれて1つじゃない!
(இдஇ; )
その事を知った筈なのに、
漢字の意味は真逆。
漢字にそれは、完全な答ではないという意味が
示されているのです。
相対的思考の大きな欠損はここに有り
よく、あの人は悪い人と聞くと、
悪い人と決めてしまい、良い部分を見なくなる。
逆に、あの人は良い人と聞くと、
悪い部分を見なくなる。
こんな事に踊らされてしまうのもそのせいです。
万物は、=(イコール)
と、
「赤ん坊」は最高
と感じられれば、
赤ちゃんに対し、
教育と称した、相対的思考の押し付けが
いかに赤ちゃんを損ねる事になるか
わかります。
私たちは、
生まれながら、そのままの素材に
大人達が相対的思考の価値観で
いじくり回し
形作られ
今の姿を成しています。
本当の私たちは、
相対的価値観をまとう必要は無いのです。
ただ、在るだけで良いんです。
それが私たちの最高のパフォーマンス。