~この世のコタエ~➀ 中国古典「荘子」
「始めの始め」
まず、始めがあった。
物事には始めがある。
誰もみなそう思う。
ところで、
始めがあるってことは、
それが始まる前に何かがあるはずだよ。
そして、始めの前にあるその何かにも
また始めがあったはず。
「始め」という以上、その「始め」を始めさせるものが
その前にあったはずだ。
これが「存在」というもののあり方だ。
ひとつのものが存在する元々とは
それ以前に存在しないものがあるはずだ。
言い直せば、「始め」なんていうものは無いわけなんだ。
そうでしょう?
そして「始め」のないものは存在しないとなれば
存在そのものは、
始めも終わりもないものと言うほかない。
全体として言うと
一つ一つの存在はありえない、ということだ。
だがね、個々の存在がないということになったら
「存在していること」も「存在しないこと」も
同じということになるじゃないか。
まあ、これが私の言う一つの考えだが
だけど、私の言うことが、
本当には何かの意味のある事なのか、
意味のない事なのか、
それもまた、分からないことなんだよ。