元社長、吉良玲司は、離婚・閉業・シングルファーザーも劇的に楽しい

学んだ、人に関するテクニックや、情報、経験で、縁ある方々の役に立ちたいと思います。~プロフィール~吉良玲司は、毒親に約5000万円のお金をたかられ、嫁は子供に人格攻撃の罵詈雑言を吐き、注意したら逆ギレで家を飛び出した、その結果シングルファザー、子供の世話を考えると、泊まり出張が多い今の仕事は継続が難しいので、閉業して社長を辞めることに。突如、仕事も家庭も環境も変わってしまった男のハッピー駄文ストック(๑ ́ᄇ`๑)

〜この世のコタエ〜③ 中国古典「荘子」

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「すべてのもとは、ひとつ」

 

 

すべてのことは「これ」だとも言えるし、

 

 

「あれ」だとも言える。

 

 

ひとりの人が「これ」と見ても、

 

 

他の人は「あれ」と見る。

 

 

人というものは、自分が知っているところから物を判断する。

 

 

そして自分の知ったところから

 

 

「あれだ」とか、「いや、これだ」と言う。

 

 

だがね、本当は「あれ」でもあるし、

 

 

「これ」でもあるんだよ。

 

 

そこから分かれて出てきただけなんだ。

 

 

 

命は死から出てきたし、やがて死んで行くものだ。

 

 

だから同じことなんだ。

 

 

何かを指して、これは悪いといっても、

 

 

それはね、こっちが正しいとするからそっちを悪いとするだけなんだ。

 

 

 

だから、本当に賢明な人はこういう区別を超えた、

 

 

遠くて高いところから、物事を見ようとする。

 

 

彼はね、「これ」と言ったときには、

 

 

もう一つの「あれ」のほうも見ている、

 

 

そして、「あれ」が、「これ」であるってことを知っている。

 

 

すなわち、一つのものには、正しいと間違いの両方が含まれているんだよ。

 

 

 

このように、「これ」とか「あれ」とか言う区別を超えた場所に

 

 

道(タオ)で言う「静かな一点」があるんだ。

 

 

この「静かな一点」は、

 

 

すべてのものの中心軸、

 

 

すなわち道の核(コア)なんだよ。

 

 

この中心軸が君の中にピタッと据わると、

 

 

「正しい」も「間違い」もなめらかに回転する。

 

 

正しいと間違いとを越えた向こうの、「あの光」を見ている。

 

 

それが、本当の知恵と言うものなんだ。

 

 

 

右とか左とか、善とか悪とか、

 

 

そういう区別があったとしても、

 

 

その2つは、やがては一緒になる。

 

 

そして溶け合う。

 

 

 

すべてのものは、いつか、ひとつになる。

 

 

本当に見える人は、

 

 

「すべてはひとつ」という原理をよく見つめた人なんだよ。

 

 

その人には区別なんかしても役に立たない。

 

 

いつも、区別を超えた場所にいるんだ。

 

 

そして、区別を超えていて、いつも変わらないということは、

 

 

生きる上でとても大切なんだ。

 

 

それは、本当の自分の性質に帰る、ということだよ。

 

 

 

 

自分の本当の性質の中にいる時、

人は幸福なんだ。

 

 

 

 

幸福に立った時、まぁ、完全に生きていると言える。

 

 

これが「道」(タオ)さ。